Rsun,株式会社アールサン,データベース中心主義,七の日コラム,データ駆動型データベース,R3D(京都植物園のチューリップ花壇)  
   
 

  過去のコラム 平成16年1月〜平成16年2月まで 


 過去のコラムのページ

 
   

   ●平成16年01月07日 あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。

 いつも七の日コラムをお読みいただき、まことにありがとうございます。このコラムも始めさせていただいてから、お陰様で、まる1年と4ヶ月が経ちました。内容としては、現実の仕事や家庭の問題と真理との架け橋的なテーマを中心に、その時点で必要とされているようなことも述べるようにしていますが、お陰様で多くの方々にお読みいただいております。ここに改めまして、読者の皆様に感謝申し上げます。

 さて、私ごとですが、昨年の10月に16階にある現在の自宅に移り、今年、初めての正月をここで迎えさせていただきました。非常に見晴らしがよく、遠くに目をやると東京湾などが見えて、時間があれば時折眺めを楽しんでおります。

 そこで、今年の元日には是非とも日の出を見ようと思い、ベランダに出てデジカメで写真を撮ったのが冒頭にある写真です。

 この太陽は、初めは小さい赤い点のような光でしたが、それが段々と大きくなり、やがてはお盆のように大きくなって白く輝く太陽になっていきました。その間、約1時間ぐらいは見ていたように思いますが、毎日見ているその太陽が、また違った太陽に感じられたのです。

 つまり、すでに昇ってしまった太陽を見てもその大きさは分かりませんし、また、改めて太陽を観察するこもありませんのでしたので、太陽がどのように大きくなっていくかを実際に感じたことはありませんでした。

 しかし、今回、最初は小さな小さな赤い点で始まった太陽が、段々とその大きさを増し、その高さを増すごとに明るくなり、また、赤から白色の太陽になっていく様子を見ていますと、改めて太陽の偉大さが分かった次第です。

 その昇りゆく太陽を見ていますと、これだけ文明が進化した世の中だからこそ、かえって太陽に関心が高まっていくのではないかとも思われたのです。そして、そのことが、これから「太陽の時代」がこれから始まっていくことの理由ではないかとも思われた訳です。

 通常、ビルの中で仕事をしていたり、あるいは、地下鉄に乗ったりやビルの谷間を歩いていたときなどには、太陽の存在に意識が向くことはありませんが、文明社会から出て自然の中から太陽を眺めますと、改めてその偉大さを感じずにはいられないように思います。

 文明がいくら進歩したとしても、あるいは、科学がいくら発達したとしても、太陽にかなうことはありません。つまり、この先人間に、何億年、何兆年という時間が与えられたとしても、人類が太陽を創ることはできません。

 これからの時代が、「科学の時代」ではなくて「太陽の時代」(*1)と呼ばれるのも、その原点に戻って、自然の偉大さをもっともっと感じ取りなさいということを意図してつけられた呼称かも知れません。

 そして、さらにその太陽が、偉大なる根本なる仏の意思によって顕されていることを発見しなさいという仏の念いがあるのかも知れません。

 そのようなテーマを与えられて、その答えを出すために必要なこととは何でしょうか。

 それは、考える力だと思います。

 つまり、「太陽の時代」とは、全てが原点に戻って、その根本なるものを発見しなさいということでもあり、、その前提には、人間に対してもっと考える力をつけなさいという偉大なる意思が働いているのかも知れません。

 それがまた、「太陽の時代」が「悟性の時代」であるという意味ではないでしょうか。

 昨年は、考えることを中心に述べて参りました。今年は、この考えることをさらに、実生活や仕事にどのように応用していくかについて述べて参りたいと思います。

 それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。(竹内)

(*1))『幸福の法』第5章「太陽の時代の到来を信じて」

   ●平成16年01月17日 仕事に見られる二つの類型

 あっと言う間に正月も過ぎ、もうすでにアクセル全開で仕事に励んでおられる方も多いのではないかと思います。さて、先回にお約束したとおり、これからまたシリーズで、考えることをどのように実生活や仕事に応用するかについて述べて参りたいと思います。

 昨今の厳しい経済環境の中で、もっと仕事をバリバリとできるようになりたいと願っておられる方も多いのではないかと思います。この時代では、仕事ができないと、男性も女性も優位な人生を歩むことは難しくなりますので、最近とみに仕事の出来に対する関心が高まっていると言えるのではないでしょうか。

 その証拠に、就業時間後に開かれている専門知識を学ぶ学校、ならびに各種のセミナーや英会話学校などには、何とかして仕事ができる人間になりたいという人々で溢れています。また、最近の傾向として考える技術についての書籍が多く売れていることもあげられるでしょう。

 そこで、仕事というものをもう一度ここで見つめ直してみたいと思います。つまり、仕事とは一体何なのかを考えてみたいと思うのです。そうしますと、どうも仕事には二つの類型があるように思われます。その二つの類型とは、

  創造型の仕事

  ●管理型の仕事

 の二つがあるのではないかと思います。

(1)創造型の仕事

 創造型の仕事とは、文字どおり新しいことを創り出していく仕事で、開拓型の仕事とも言うことができます。では、創造型の仕事にはどのようなものがあるかをあげて見たいと思います。

  ・企業の企画関係の仕事(*2)

  ・著作をしたり絵画を描くような仕事

  ・デザイン関係の仕事 

  ・新製品を生み出すような研究開発の仕事

  ・アイデアを出すような仕事

  ・新しい需要を生み出すような仕事

  ・マーケットを開拓して顧客を増やすような仕事

  ・企業のノベーションを実施するような仕事

 などがあげれます。これらを見ると、何もないところから新しいものを生み出す仕事であり、言わば「無」から「有」を生み出す仕事です。会社の中では、必ずこのような創造型の仕事をしている方がいるはずです。もし、そのような人が居ないならば、企業として存続が難しいはずです。

 世の中が、どんどん前進し変化している訳ですから、現状維持は、すなわち後退を意味しています。何もしないということは、一見現状維持のように見えますが、その実、後退を意味するという恐いところがあるのです。

(2)管理型の仕事

 一方、もう一つの類型として管理型の仕事があります。この仕事は地味ではありますが、非常に重要で、これがなされていないと、組織として機能することはできなくなります。つまり、やさしく言うならば、この仕事ができない会社は、もはや会社の形態をなしてないと結論づけることも可能でしょう。

 では、管理型の仕事にはどのようなものがあるのでしょうか。少しあげてみたいと思います。

  ・問題解決を行う仕事

  ・プロジェクト・マネージメント(プロジェクトの進行管理などを行う仕事)

  ・建築の現場監督の仕事

  ・TQC(Total Quality Control)のように製品の品質を悪くならないように管理する仕事

  ・販売管理、在庫管理、生産管理、財務管理、人事管理など「管理」がつく仕事

  ・事件や事故を解決するための仕事(問題解決の仕事に含まれますが)

 などがあげられますが、ここでの特徴は、問題が発生したらその問題解決を行うような仕事であると思えばいいでしょう。そして、その問題とは、現実と理想のギャップのことを言い、現実が本来のあるべき姿になっていない状態を意味します。そして、その現実を理想に一致させるための作業が、ここでの仕事となります。

 以上のように仕事には二つの類型があると考えられますが、創造型の仕事は、プラスをさらに生み出すような仕事であり、一方、管理の仕事とは、不都合が発生して理想からかけ離れたマイナスを、プラスマイナスゼロに戻すような仕事であると考えればいいと思います。

 どちらが重要なのか気になるところではありますが、答えは両方が重要であるということです。つまり、どちらが欠けてもこれからの世の中で、成功し続けることは難しくなると思えばいいでしょう。

 しかしながら過去においては、管理型の仕事だけをしていれば企業として生きられる時代もありました。でも、これから時代は、それだけではだめだと言えます。しかも、創造型の仕事のほうが、これから益々重要になってくることが予想されます。

 それはすなわち、過去から比べますと日本自体がかなり成長し、それまではアメリカなどの先頭走者を理想とし、それを目標にして管理型でやって来られた訳ですが、日本がもうすでに先頭走者と並んで走っている現在の状況では、開拓的で創造的な仕事をしていかなければ、これからのさらなる発展・繁栄は難しいということを意味しているのではないかと思います。

 以上今回は、仕事における2つの類型をあげましたが、次回からは、そのそれぞれについての仕事の進め方について、考えてみたいと思います。 

 それでは、また次回にお会いいたしましょう。(竹内)

(*1))『幸福の法』第2章3「企画力の大切さ」

   ●平成16年01月27日 創造型の仕事に必要なものとは

 先回のコラムで、仕事には大きく分けて、2つの類型があるということを述べました。それは、創造型の仕事と、管理型の仕事です。そして、双方ともに企業や組織が機能していくためには、欠かせないものであることを述べました。

 そこで、今回は、創造型の仕事を遂行していく上で、必要となるものは一体何なのかを考えてみたいと思います。

 先回のコラムにも、創造型の仕事に類すると思われるものをあげてみました。企画の仕事や、研究開発・設計の仕事、そして、芸術的な仕事などが創造的な仕事に当ります。そして、それらに共通していることは、「無」から「有」を生み出していくことにあります。

 では、そのような「無」から「有」を生み出していくような仕事をするためには、どのようなことが必要となるのでしょうか。それらを少しあげて見たいと思います。

 (1)知識

 (2)経験

 (3)演繹(えんえき)的に考えること

 (4)先を見通す目

 (5)努力する姿勢

 (6)不撓不屈(ふとうふくつ)の精神

 (7)インスピレーション(ひらめき)

 などがあげられます。もちろん、仕事の内容によって、その比重は異なってくるとは思いますが、これらはほぼ共通した項目ではないかと思います。では、それぞれについて、もう少し具体的に考えてみたいと思います。

 1.知識

 何も創造型の仕事に限ることではなく仕事全般に言えることですが、仕事を行うためには、その仕事に関する知識が必要です。例えば、自動車の運転の仕事なら、自動車の運転の知識が必要ですし、パソコンを扱う仕事ならパソコンの知識が必要です。

 そのように、まずは、自分が従事する仕事の知識を得なければなりません。この知識は、例えば、雑巾がけなどの簡単な掃除でしたら、5分ぐらいそのやり方を教われば、大体のことは分かりますが、自動車やパソコンではそうはいきません。専門の学校に1ヶ月や2ヶ月、あるいはそれ以上通って学ばなければなりません。

 ですから、仕事の初めに、まず知識が必要となりますが、その知識を得るためには、その難易度に応じた学習が必要だということになります。 

 その上に、最近の仕事は、その高度さを増してきておりますので、単に学校に通っただけでは、役に立たないことも多く、企業では、入社した社員に、OJT(On a job training)と言って現場で仕事をさせながら学ぶ形態も採っています。

 高度だけではなく、これからの仕事は、今まで以上に量的にも多くの知識を必要とする傾向にありますので、日々多くの知識をいかに得るかという技術を身につけることも必要となります。つまり、世の中にはすでに多くの情報が溢れておりますが、それらの中から、必要な情報だけを拾い出す技術が必要になるということです。しかも、短時間に拾い出す技術です。

 例えば、毎朝、五大新聞の全てを端から端まで読むとするならば、それだけでも午前中の時間がつぶれてしまうことでしょう。いや、夕方までかかるかも知れません。それから肝心の仕事をしようと思っても、もう時間切れとなるかも知れません。

 そこで、溢れる情報から、どのように効率よく、しかも短時間で必要な情報を得るかの技術がこれから必要となるのです。

 私も、年に何回かは、大型イベント会場で開催される展示会に出かけますが、展示場には、最新の技術を何百という企業が出展しています。その企業は、自社で何年もかけて生み出した最高の製品を展示している訳ですが、それを、いくつも見て回らなければなりません。

 一つを理解しようと思っても、時間のかかる作業です。それを、短時間でこなさなければならないのです。そして、分からないことがあれば、そのポイントを質問することも必要です。

 さらに、展示数は、年々増える傾向にあり、また、技術レベルも高度になってきていますので、それらを見るほうにも、その消化力が必要とされるということなのです。

 従って、仕事をするためには、多くの情報が必要ですが、その情報を仕入れるのに時間がかかってしまいますと、今度は仕事をする時間がなくなってしまいます。ここにジレンマが、発生します。そのジレンマを克服できるかどうかが、これから知的巨人となれるかの分かれ目ではないかと思います。

 では、なぜ創造型の仕事をするためには、知識が必要なのでしょうか。

 創造型の仕事というものは、もちろん自分が持っている知識がそのまま直接的に使える場合もありますが、一見関係がないと思われている知識が、何かの拍子で結びつき、今までに無なかったような新しいものとなって現れることがあるからなのです。

 例えば、携帯電話とカメラは、今までの製品系列では、まったく異なったジャンルの製品でありましたが、それらが合体して新しい通信・記録ツールとなりました。そして、このような傾向は、携帯電話の分野のみならず、至る所でさらに顕著になっていくものと予想されます。

 それを考えてみますと、この宇宙にある元素の数は、周期表に書かれているように約100個しかないと言われていますが、それだけの材料しかないのに、ありとあらゆるものがそれらの組み合わせによって作られていることに似ているようにも思えます。

 つまり、それだけの材料しかないが、それらを組み合わせることによって、それこそ無限のものが生み出せるということなのです。

 知識と元素と同じにすることはできませんが、知識も色々な組み合わせによって、まだまだ、開発の余地があるということだと思います。ですから、新しいものを生み出すためには、材料を多く持っておいたほうが有利であることは当然のことで、それだけ知識を持っている人は、多くのものを生み出せる人であると言うことができるでしょう。

 特に、宗教的真理は、色々な考え方のベースとなるもので、世の中で名をなした有名な物理学者などが好んで仏教を勉強したということも、うなずけるところです。

 以上、創造的な仕事をするためには、それに関する知識が必要であると述べました。そして、この知識吸収能力は、年々高度になっていくので、それに合わせて自分の能力も磨かなければならないとも述べました。

 また、知識はある意味で元素と同じで、その組み合わせによって、色々なバラエティに富んだものを生み出せるということも述べました。

 そして、これらをベースにして、このシリーズで述べさせていただいているところの考えると言うことが、活きてくる訳です。

 それでは、次回はさらにこの続きについて述べたいと思います。(竹内)

   ●平成16年02月07日 経験の持つすばらしさとは

 先回のコラムで、創造型の仕事に必要とされる項目を挙げ、その中で、知識について示しました。そこで、今回はその続きである「経験」について述べたいと思います。題して「経験の持つすばらしさとは」です。

 2.経験 

 知識の次に必要なものは経験です。人間が、どうしても分かったというためには、知っているだけではだめで、それを実際に体験していることが必要となります。

 例えば、水泳というものが、どういうものであるかを考えてみたいと思います。それは、知識としては、水の中を泳ぐこととなる訳ですが、書物の中で泳ぐことについて解説してあったとしても、実際にどのようなことかは分かりません。また、泳いでいる時に水を飲んだことのない人にとっては、結構簡単なことだと思うかも知れません。

 そこで、実際に水に入りますと、それが、どのようなものであるかが「分かる」のです。畳の上で泳いでも、分かることはできません。実際に体験して初めて、知識と感覚とが一致して「分かる」ということになります。

 ですから、何事も、まず知るということから始まりますが、次に、知ったことを実践して本当に理解したことになるのです。

 これは、水泳というスポーツに限られたことではなく、仕事での色々な業務についても言えることです。人間は、仕事において色々なケースを経験します。新入社員は、最大1年間に起こるのケースしか経験していませんが、10年先輩の社員は、10年間に遭遇したケースを経験しています。これを、場数ともいい、社員の勲章にもなっています。

 従って、それだけの場数を踏んでいたならば、もし、同様な問題が起こったとしても、以前に得られた教訓から、その問題に対応ができるということになります。

 しかしながら、経験というものは、同様の問題に対応できるだけではありません。その経験が、他の違った分野で活かされたり、あるいは、さらに他の経験と融合して、新しいアイデアとして生み出されることも少なくありません。

 例えば、自動車の販売ができるセールスマンは、住宅や宝石の販売をやっても、専門知識さえ身に付ければ、よくできるようになるでしょう。さらに、同様の販売という行為にとらわれず、販売に手腕を見せたセールスマンは、優れた経営者や政治家にだってなれることがあります。

 ですから、経験はそれ自体財産のようなもので、それらが相乗効果を発揮して、段々と増殖していくという、すばらしい性格を持っています。

 また、この経験というものは、体がなければ得ることができない(当たり前ですが)が故に、人間が、この地上に生まれてきたときにのみ、得られるものであるという現実があります。

 従って、今、生まれてきているということは、経験を得る絶好のチャンスを今手にしているのだ、ということができます。死んで肉体が無くなったら、経験ができないのです。

 つまり、人間の肉体的寿命は有限なので、この有限の時間の中で、どれだけ多くの経験を積むことができるか、ということが今生の収穫の大きさであるということになります。

 ですから、同じ1年でも、どれだけの経験をするかによって、その人の1年が、他人の2年にも3年にも匹敵することがあり得ます。すなわち、それを一生の長さで考えてみますと、ある人の一生は、他の人の二生や、三生をも生きたという非常に充実した人生になるということを意味しています。

 もちろん、その経験の中身によってマイナスの経験が多くなり、逆効果となることもあります。例えば、泥棒の経験の多い人は、その道では達人と言われるかも知れませんが、残念ながら、人々を幸福にするという目的からは逆行していますので、マイナスの経験となるでしょう。

 このように考えますと、もうお分かりだと思います。会社の中で、色々な仕事を上司から指示されて、「またか。いやだな。」と思うか、それとも、「また経験ができる。人生の収穫が増える。ありがたい。」と思うかです。

 そして、この経験が、また見えない財産となるのです。お金や宝石は、あの世に持って帰れませんが、この経験は、100%持って帰れるというすばらしいところがあります。

 ですから、仕事というものは、お金を出してでもやるべきだという人がいるぐらいです。そのようにならなければ、本当の意味で、経験が分かったということにはならないのではないかと思うのです。

 よく、人々が、一文の得にもならないことをあなたはなぜするのか、ということを問うことがあります。それをしても、誰からも1円ももらえなくても、本人が、経験というあの世に持って帰れる財産を得ているのだと思えば、十分に納得のいくことになるのではないでしょうか。

 仏教では、よく「業(ごう)」という言葉が使われます。カルマとも言いますが、一般にカルマというとあまりいい響きではないように思われますが、しかし、このカルマというものも、経験と考えれば、大切なものであるということが分かるのではないでしょうか。

 つまり、行為によって業が得られる(*1)とあり、行為なくしてこの業は得られないということなのです。つまり、いいも悪いも、カルマを作れるのは、肉体を持っているときだけなので、この地上の生活というものは非常に重要になってきます。

 いい経験をして、いいカルマを作ることこそが、この地上に生まれてきた意味である、と言えるのではないでしょうか。

 今回は、経験ということに焦点を当てて、少し、この世とあの世の人生観からも考えてみました。あの世というドメイン(範囲)が増えれば、考え方も変わってくると感じられたのではないでしょうか。

 では、また次回にお会いいたしましょう。(竹内)

(*1)『心の挑戦』第8章「業とは何か」(幸福の科学出版)

   ●平成16年02月17日 演繹的(えんえきてき)に考える

 先回のコラムで、創造型の仕事に必要とされる項目の第2番目である経験について示しました。そこで、今回はその続きである演繹的に考えることについて述べたいと思います。

 演繹的という言葉を使うと、少し難しい感じがありますが、この演繹的と対比させて帰納的という言葉があります。帰納的とは、すでに存在する事実を集めて、それらから法則性を見出して行こうとする考え方のことを言います。例えば、年々の世界の人口数の変化をグラフにプロットして表にし、その傾向性から法則を見出して、今後どのように変化していくかを考える方法などが、帰納的と呼ばれる手法です。

 この帰納的手法は、数学的には回帰分析というような分析手法に利用され、個々のデータを集めて、それらから方程式を生み出そうとするところに応用されています。

 一方、演繹的とはこの逆で、すでにある法則性をもとにして、個々の事実をそれにあてはめようとする考え方のことを言います。例えば、この答えはこのようになるべきであるとして、それに向けて考えや活動を合わせていくような場合がこれに当ります。

 それでは、この演繹的に考えるということについて述べてみたいと思います。

 3.演繹的(えんえきてき)に考えること

 創造的な仕事をするためには、どちらかと言うと、今までの成果などにとらわれない発想が必要とされます。現実ばかりを見ていますと、どうしても現実に妥協してしまって、目標が小さくなってしまいます。

 ですから、新しい企画や新しい製品を考えるためには、理想を大きく掲げることが重要となります。本来、どうあるべきなのか、理想は何なのか、これを現実にとらわれずに考えることがまず大切です。

 例えば、今自分が、新しい自動車の企画をしていると致しましょう。

 自動車というものは、人間や荷物をどこでも自由に運ぶためのものですが、理想的には、環境を壊さないことはもちろんのこととして、安全であることが要求されます。

 今、人々は、自動車で事故を起こしたら、怪我をしたり人が死んだりすることを、当り前のように思っていますが、本来、これはおかしいと思わないといけないのです。

 例えば、鳥インフルエンザで、今まで世界で、5人や6人が死んだと言って大騒ぎをし、鳥の輸入をストップしてしまいました。

 ところが、自動車による交通事故で、日本だけでも毎日何十人もの人が亡くなっているのに、全然騒ぎません。よっぽど大きな事故でない限り、交通事故死があっても、新聞にも載りません。鳥の輸入はストップしたのに、自動車の生産を止めようともしません。平気なのです。これは本来おかしいのです。

 時代が下りますと、人類の大きな謎として、この交通事故死に対していかに人々の神経がマヒしていたかと言うことが、取り上げられることと思います。いわく、人類は、これだけウイルスや健康に気遣っていたのに、自動車という野蛮で欠陥のある製品の生産をなぜ続けていたのか。不思議だと・・・。(実は、私はこの事に気がついて、10年前から自動車の運転をしなくなりました。)

 そこで、新しい自動車とは、交通事故を起こしても、死ぬことはもちろん怪我もしないという自動車であるとします。

 これが理想の製品なのです。これを考え生み出していくことが、実は創造的仕事なのです。

 そのように、まず、かくあるべしという目標、あるいは理想を掲げます。そして、それに向けて、仕事をしていくことが演繹的に考えて仕事をすることであります。 

 今、自動車を例にあげましたが、事故で怪我をすることも死ぬこともない自動車を、現在の自動車の延長線上に考えようとしても、これは無理となります。大切なことは、現在できるかどうかは別にして、本来どうあるべきかを掲げることがまず必要なのです。

 そして、その次に、現実をどう引き上げていくかを考えるのです。それをしないで、初めから現実を積み上げて考えようとしますと、決して新しい革新的な製品は生み出されることはありません。

 この演繹的な考え方は、もちろん知識や経験のもとに築かれるものですが、特に必要となる知識は、哲学的、あるいは宗教的真理と言われるものです。

 宗教的真理は、人類普遍の法則に満ちています。愛の教え、知の教え、反省の教え、そして、発展の教え(*1)です。

 愛、つまり、人々にやさしいということが製品に求められるならば、事故を起こして怪我をするような製品は、生み出されるはずはありません。一時的には、普遍的真理に反した製品でも売れることはありますが、それが長い時間続くことはあり得ないのです。

 なぜなら、それは法則に反するからなのです。つまり、かくあるべしという本来の姿から外れるものは、やがて淘汰され滅びに至るという真理があります。

 ですから、この演繹的に考えるということは非常に重要です。もし、自分が生産している製品が、人類普遍の法則にかなっていないなら、それこそ大変です。すべての努力が無駄となり、努力逆転をやっていることになるからです。

 ですから、その方向性が間違ったら大変なので、昔から経営者や政治家と呼ばれた人たちが、仏教を勉強したということもうなずけることです。 

 今回は、演繹的に考えることについて述べました。改めて考えてみますと、当然と思っていたものが意外と大変なことであったりして、新しい発見があるものです。それでは、次回はさらにこの続きについて述べたいと思います。(竹内)

(*1))『幸福の法』第3章「人間を幸福にする四つの原理」(幸福の科学出版)

   ●平成16年02月27日 先を見通す目

 先回のコラムで、創造型の仕事に必要とされる項目の第3番目である「演繹的に考える」について示しました。そこで、今回はその続きの4番目の項目である「先を見通す目」について述べたいと思います。

 先回では、物事を考える際に、本来どうあるべきなのかという「あるべき姿」を考えることが大切である、ということをお話し致しました。この先を見通す目も、ある意味でその考え方に似ているかも知れません。

 この世界は、法則によって統べられています。つまり、この世の中を見てみると、至る所に法則があって、その下で全てのものが存在しています。

 例えば、この世界には万有引力という法則があって、物体に質量があると互いに引き合う力が働きます。もし、二人の人間が近寄ると、本当は引き合う力が働いているのです。ところが、星の大きさぐらいの質量にならないと、大きな力とはならないので、分からないだけのことなのです。

 また、原因と結果の法則もしかりです。この法則は、物事には必ず原因と結果があるという法則です。つまり、原因のない結果もないし、また、結果があれば必ず原因があるというものです。

 極めてシンプルな法則なのですが、これを知っているだけで人生観が変わるほどの大きな力を持っています。

 つまり、法則というものは、それこそ、お釈迦様の手の平のようなもので、その法則から何人も逃れることはできないということを意味しています。

 いや、そんな法則は気に入らないので、自分は信じないという人がいたとしても、ビルの屋上から飛び降りれば、万有引力の法則によって地上にたたきつけられてしまいます。また、原因を作ったが、結果を無視したいと思っても、サラ金で借金をすれば、結果として返済に苦しむことになります。これもまた法則なのです。

 従って、そのような法則があるとするならば、その下でどのように物事を考えていけば良いのでしょうか。今回は、その法則に関連させて、先を見通す目について述べてみたいと思います。

 4.先を見通す目

 仕事をする上で非常に大切なことは、その仕事の内容が、将来によい結果をもたらすものであるのかどうかということがあげられます。ところが、誰も将来のことは分かりませんので、よく不安になるものです。夜も眠れないこともあるでしょう。

 例えば、ある製品を企画開発をしたとします。ところが、売り出しても、さっぱり売れず、在庫の山だけが残ったということはよく聞く話しです。

 それを知るために、予言者のところに行って教えてもらえばいい、というのは冗談としても、誰でも将来のことを知りたいものです。ところが、ここにそれを知るためのいい方法があるのです。それが、先ほどご紹介した原因と結果の法則でもって考えていくことなのです。

 実は、この原因と結果の法則は、仏教的には「縁起の法」と言って、善因善果、悪因悪果という言葉でよく語られている仏教の教えでもあります。

 つまり、善因善果とは、善い原因を作ったら、善い結果がやってきますよということであり、逆に、悪因悪果は、悪い原因を作ったら、悪い結果がやってきますよという非常にシンプルな教えです。

 ところが、世の中の多くの人々は、この法則を無視し、自分にはこの法則が働くはずはないと思って、悪いことをする人が後を絶ちません。そういう人たちは、先ほど述べたビルの屋上から飛び降りても、自分だけは大丈夫と思っている人たちでしょう。

 法則と喧嘩をしても、それは所詮、太陽と喧嘩をするようなものですから勝ち目は全くありません。ですから、ここは、しっかりと法則を勉強して、本当の意味で自分を大事にしていくべきではないでしょうか。

 少し話しが外れましたので、また元の仕事の話しに戻しますと、仕事をする上では、そのような法則をわきまえて、新製品を企画開発したり、会社の運営をしていくことが大切となります。

 しかしながら、シンプルな原因と結果の法則ではありますが、実際にこの法則のもとで考えることは、そう簡単なことではありません。

 なぜなら、原因となる要素が、数えきれないくらいあり、また、それらの影響の度合いも、要素によってまちまちであるからです。

 その原因とは、自分の会社の内部的な事柄から始まって、社会の環境の変化など、さまざまのものがあります。それらの原因をスーパコンピュータで計算しても、100年、1000年もかかることでしょう。近年、やっと地球シミュレータというスーパコンピュータが開発されて、気象の動きについてだけ将来の予測ができるようになったばかりです。

 しかし、それでも、想像し得なかった新しい要因が現れると、最初から計算のやり直しとなります。

 従って、気象以上の複雑さを持っているマーケットの動向や、社会の変化を、コンピュータで予測することは不可能であると言えます。

 しかしながら、人間は、コンピュータと違って、アバウトに計算する能力を持っています。これが人間の優れたところで、訓練をすれば、当たらずとも遠からずで予測ができるようになるものです。

 それが実は、先を見通す目ということになります。長年蓄えた知識や経験を総動員して、原因と結果の法則に沿って、ある程度将来を考えることができるようになります。

 例えば、これから少子高齢化が進むので、住宅の新築は少なくなるが、リホームの需要が増えてくるだろう、ということや、団塊の世代が定年となってくるので、年金などに対する本が売れるだろうとか、物はもう溢れ返っているので、これからは、心にやさしい癒し関係が売れるだろう・・・、ということが見えてくるのです。

 これは、過去このシリーズで述べました「縁起」を考えるということでもあります。

 つまり、「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざのとおり、今後どのように物事が進行していくかを、原因と結果の連鎖によって将来を見通す目を持つこと、と言い換えることができるでしょう。

 そのためには、常々多くの情報を手に入れて、小さな変化も見逃さないことが必要です。実は、未来というものは、突然にやってくるものではなく、すでに、この現在にその原因があるということが言われています。それは小さくても既に存在しているということなのです。

 従って、既にブームになっているものは、もう終わりに近づいていると思ってよく、逆に、現在、苦戦してまだまだ光が当たっていないところに、実は将来のダイアモンドがあると思えばいいと思います。

 それにつけても、まだまだ学生が企業の就職先を選ぶ際に、現時点において高業績を出している業種を選ぶとはどういうことなのでしょうか。昔のバブル期には、優秀な学生は、高い競争率があっても金融関係の会社を選びました。

 しかし、原因と結果の法則で考えるならば、バブルはいつまでも続くはずはありません。それが本来のあるべき姿なのです。現在の金融関係の会社の状況を、原因と結果で先を見通せば、予測できたはずなのに・・・です。

 ですから、この先を見通す目は、仕事をする上で、非常に大事となります。それが分からなければ、苦労してやったことが全て水の泡となりかねないからなのです。

 以上、創造的な仕事をするために必要となる「先を見通す目」について述べました。実は、この先が見えるという能力がリーダの条件(*1)でもあります。もし、羊の群れを率いるリーダが、崖に向かって進んでいるならば、これは群れ全体の不幸となるからです。

 それでは、次回はさらにこの続きについて述べたいと思います。(竹内)

(*1))『常勝思考』第1部「常勝の原点」1.リーダの資質とは何か(幸福の科学出版)

Rsun